堀尾竹荘陶房#歴史
歴史|川喜田半泥子さんとのつながり
初代堀尾竹荘は陶芸家豊・泰彦の祖父にあたるのですが、
昭和12年に45歳で没と記録にあり、二人とも知りません。
しかし、川喜田半泥子さんと親交があり、
川喜田半泥子さんの図録や年表写真や残された
手紙等に消息が残されています。
1929年(昭和4年)に半泥子51歳
11月20日, 京都五条坂の
陶工堀尾竹荘が来て窯を焚く。
1932年(昭和7年)、半泥子54歳。
10月、銀座資生堂で「土くれ会」展を開催。
同人は橋本清正、四川清翠、堀尾竹荘、
栗原忠二、奥田竹石、半泥子
昭和四年十二月一日から五日まで、
京都大丸七階で催された京都在住新進陶芸家六人
(新井謹也、道林俊正、中川泰蔵、小山富士夫、石黒宗麿ら)
による展覧会会場で、半泥子は小山の作品十三点を
百六十円で買った。
このことは、京都の陶芸家堀尾竹荘宛に
同年十二月九日付の小山の書簡に書かれていて、
その手紙は現在、(財)石水博物館に保存されています。